東大二次の受験を終えて自宅に戻った後は、トムは2~3日は爆睡したり、スマホでSNSで東大受験生のツイートを見たりして周囲の動向を伺っているようでした。毎日泥のように昼過ぎまで眠った後は、だらだらと起きてきてスマホを見たり、友達と遊びに出かけていました。机に向かっていないトムを見たのは実に1年ぶりで、かえって新鮮に映りました。
しかし各予備校の東大二次の解答結果が出揃うと、自己採点の結果から「ボーダーラインだと思う」とトムは論調を変えてきました。多分受かっていない、と思いつつも、「親をがっかりさせたくない」とか「もしかすると部分点が貰えて受かってるかも」という、一縷の望みをかけていたのだと思います。
3月10日の合格発表
東大合格発表の日は平日でした。夫や娘はいつも通りに仕事や学校に出かけ、トムも珍しく早く起きてきて、朝食を済ませました。私も仕事があったのですが、トムと一緒に自宅のパソコンで合否を確認するため、仕事は休むつもりでした。すると、
トム:「お母さんも会社に行ってよ。俺一人で結果を見るから」
私: 「今日は会社休むつもりでいるけど。せめて合格発表の昼12時過ぎまで一緒にいようか?」
トム:「・・・いや、独りにしてほしい。泣くとこ見られたくないから。」
…この数日間のトムの様子から、それは「嬉し泣き」ではなく「悔し泣き」だと確信しました。
子供がこれまでの短い全人生をかけて挑んだ挑戦に、敗れたとわかったら、親は何をしてやれるのだろうかと必死で考えました。ただ一緒にいて慰めたり励ましたりされる事を、息子トムは嫌悪すらしているように見えました。親に慰めてもらうほど、もう子供ではないのだと。プライドや意地を持った一個の人格として尊重しなければいけないのだと感じました。私は「わかった」と言って、後ろ髪を引かれる思いで家を出ました。「独りにしてほしい」、というトムの初めての言葉に一抹の不安を感じつつも、そうするより他ありませんでした。
東大の合否は・・・
夫と私はそれぞれにトムの受験番号を控えており、午後12時ちょうどの発表に合わせて職場のパソコンから東大の合格発表サイトにアクセスしました。しかし12時すこし前からアクセスが集中し、非常に繋がりにくくなっていました。休憩時間とはいえ職場のパソコンという事もあり、ずっとサイトに繋げていられず、しばらく置いてからアクセスしようと諦めました。・・・すると、12時半ごろ、トムから私の携帯に電話がかかってきました。ひとしきり泣いたのか(暴れたのか)意外にも明るい声で一言。
「駄目だったわ、悪い。」
私は妙に明るい声を出すトムにかえって不安を覚えて、ひょっとしてヘンな事を考えていないかと心配になりました。
「東工大の後期試験が残っているし、慶応理工も受かってるんだから、しっかりね!」
と励ますつもりで言いました。東工大の後期試験の受験資格は保持しているし、慶応理工にも入学手続き金の20万を振り込んでいました。しかしその呼びかけにはトムは応えず、電話は唐突に切れました。私は別の嫌な予感がして、仕事が終わると急いで自宅へ戻りました。
トムは自宅でボーッとTVの画面だけを眺めていましたが、リビングのダイニングテーブルの上には、東大から同日届いた合否通知と試験結果が、乱暴に破られた封筒と共に散乱していました。合格最低点(340~345点/550点)に対し約20数点ほど満たないという結果でした。判定は確か、B~C判定(※東大は不合格者にも全教科の得点(小数点以下4桁まで)と不合格者内のレベル判定を明記した結果を郵送してきます)だったと思います。その直後、トムは不合格通知書など一切の書類を全て破いて捨ててしまったので、記録がなくて記憶もあやふやですが。その結果が、「あと少し」なのか「全くお話にならないレベル」なのかはよく分かっていませんでしたが、3月10日のツイッターの「#(ハッシュタグ)東大受験」界隈では、「合格最低点に0.004点足りなくて理Ⅲに落ちた~!」などの阿鼻叫喚や、「合格最低点+0.02点でギリ受かった!」などの悲喜こもごものツイートで溢れていて、東大の合否とは小数点以下4桁で争われる熾烈な戦いである事に震撼としたものでした。
「浪人はできないよ」
大学受験の前提であった言葉を繰り返しましたが、トムは廃人のように無反応でした。負けず嫌いで執念深いトムの性格を知り尽くしている母から見れば、憧れて恋焦がれた東大を一回限りの挑戦で諦めるとは、既に思えませんでした。トムは「後期試験はダルいから受けない」と言い出し、更に「私立に行くわ」と応えましたが、そのあまりにも無関心で投げやりな、「浪人しなけりゃいいんでしょ」という態度に、私は腹が立ちました😡😡😡
その後一週間は、毎晩夫と私とトムで、喧嘩まじりの親子会議が続きました。