GWに息子トムと娘ぽや子を連れて私の田舎に帰省しました。
生家の取り壊し
私が小学校〜高校までを過ごした生家が、数日後に取り壊されることを知って、最後の見納めも兼ねて帰省しました。両親は2000年に別の場所に新居を構えて引っ越したので、すでに空き家となって20年以上が経過しています。ときどきは父がやってきては手入れをしていたようでした。築150年以上の古民家で、10部屋以上もあるだだっ広い家です。
息子トムが生まれて3歳くらいまではこちらに両親が住んでいたので、盆暮やGWなどの長期休暇には兄一家もこの家に集って、皆で賑やかに楽しく過ごしたものでした。
今はもう全ての家具が取り除かれ、ガランとしています。
廊下の窓ガラスは既に撤去されブルーシートがかけられているせいで、青い光が空間全体を染め上げて、まるで深海にいるような神秘的な景色になっておりました。
家族と過ごした居間や食堂、仏間や客間。全ての襖が取り払われていてまるで大河ドラマに出てくる江戸時代の野寺のセットのようです。
「へ〜!ママ達はちっさい頃ここに住んでいたんだぁ〜」と娘ぽや子。
ぽや子は新しい家での両親の暮らししか知りません。
「古くてだだっ広いから不便だったよね〜。受験勉強してて夜中にトイレに行こうものなら自分の部屋からトイレまでがこれまた遠くてさぁ、怖かったなぁ〜。途中に仏間を通るんだけど、怖いから何も見ないように目を閉じて通ったものだったわ〜笑」と私。
玄関の様子。昔は常に生花が活けられ客人を迎えておりました。今はもう何もありません。
時代は確実に幕を降ろしたのだと実感します。
私の祖父が住んでいた離れの部屋↓
私が小学生の頃は両親が教員で共働きだったので、学校から帰るといつも祖父の部屋へ直行し遊んでもらっていました。大好きだったその祖父も私が20代の時に亡くなりました。小学校の校長職を長年務めて、定年後は世界中を旅行して珍しいお土産物や美術工芸品を買い集め、ところ狭しと飾っておりました。
祖父の一番好きな旅行先はドイツ。皆でドナウ川を観光船でくだる時、誰ともなく「美しく青きドナウ」を口ずさみ始め、それが船全体に広がり大合唱になった時の事を何度も語ってくれました。世界各国から集まった観光客が涙を流しながら「美しく青きドナウ」をそれぞれの国の言葉で歌った時、心が一つになった気がしたと申しておりました。情景が目に浮かびます。私もいつかその観光船に乗ってドナウ川をくだりたいと思っています。
私の部屋↓。壁も床もものすごく汚れてますね;すみません。
大学受験の時はこの部屋で、ストレスが溜まってどーにもならない時には当時好きだったBrian AdamsのKids wanna RockをWalkmanで大音量で聴いては、ウサを晴らしていました笑
2階の手すり部分に施された装飾↓
大工さんの遊び心で、当時(約50年前)は斬新でした。これも明日には影も形も無くなるのかと思うと寂しい気持ちが込み上げてきます。
生家での想い出
家の前の石垣↓ 20年も人が住んでいないので雑草が伸び放題;
この石垣を見るといつも想い出すエピソードが。
昔、中学校教員をしていた父が、土曜日(いわゆる半ドン)の午後に職場から車で帰宅後、この石垣の下の側溝に、お覆いかぶさるようにして何かを一生懸命探しているのです。たまたま家から出てきた小学生の私が、スーツ姿で鞄を持ったまま、必死に何かを探している父を発見して慌てて尋ねました。
「お父さんどしたの?なにか落としたの!?」
一見するとコンタクトレンズでも落として探している人のように見えるのですが、父は眼鏡です。すると父は満面の笑顔で、
「ここに車庫からずぅ〜〜〜〜〜っとアリの行列が続いてるんだよ!!」と興奮気味に指差すではありませんか。とんでもないお宝を見つけた少年のよーなワクワクの笑顔で。
「は?アリの行列!?」・・・やめてよ恥ずかしい。近所の人が見たら何か落としたのかと心配するじゃないの、と小学生の私は子供心に呆れた記憶があります。
「そう。アリの行列だよ!見てごらんよここ!葉っぱを運んでるアリもいるよ。どこまで続いてるのか一緒に追ってみよう!」
・・・いやいやいやいや、そういうのイイから。私は思わず吹き出してしまいました。
父は当時中学校の教員をしていましたが、そんな童心を持ち合わせている父が、私は大好きでした。
家紋入りの蔵や養蚕(ようざん)部屋、味噌部屋などが寄せ集まった1000坪くらいの敷地。2年以内に道路ができるということで、土地はすべて国が買い上げてくれる事になったそうです。かつて古民家を改装して民宿にしたいから貸してほしいというオファーもあったそうですが、ご近所の手前、実現しませんでした。こんな田舎の無人の巨大な家、誰も買い手がつかなかった事でしょうから、めっちゃラッキーです。
実家には私の子供達が使った膨大なおもちゃやベビー用品、学童用具や教科書・プリント類を置かせてもらっていましたが、アルバムなど以外は全て、父に廃棄をお願いしておりました。すると父はこれらを業者を使うことなく、たった一人で丸1年かけて少しずつ整理したというのです。
父は87歳。しかも60歳の定年後、三重の皇學館大学に入り直して神官の資格を得て、地元の神社の神主を20年以上やっております。取り壊し前のお祓いも白装束に身を包み自分で実施するとのことでした;子供達の100日参りや七五三などの節句は、父に祝詞をお願いしました。
親の実家の片付けを子供がやって苦労するという話はよく聞きますが、子供の私物が詰まった実家を老親がたった一人で業者も使わず片付けるなどは聞いた事がありません。
恐るべし87歳。この父にしてこの孫達あり、と最近の父のほとばしる好奇心・行動力と挑戦力にひたすら感服しております。年を重ねるほどにやりたい事や目標が溢れ出てきて、あちこち飛び回っております。この父を見ていると、年齢とは単なる記号に過ぎないと実感します。と同時に50を過ぎても老親に頼りきりの不甲斐ない娘(=私)を深く恥じました;
実家を片付ける場合は、よほど体力に自信がある場合でない限り、ちゃんと業者を使ってやる事をお勧めします笑。
ちゃっかりなぽや子
父と娘ぽや子が実家で仏壇に手を合わせておりました。ぽや子にしては殊勝な態度です。どんな会話をしたのか後から聞いてみると:
ぽや子:「おじいちゃんあのね♡大学行くのに駅から遠いの。中古でいいから車買ってほしいんだけどイイ?♡」
私の父:「土地も売れたからなぁ。まぁおばあちゃんと相談するから待ってなさい♡」
ぽや子:「うん、ありがと。なるべく早く欲しいからお願いね♡」
・・・なんという世渡り上手。なんという甘え上手。なんというスネかじり。実の娘である私ですらそんなオネダリはできません;
ちなみにぽや子は私の両親の卒業した大学に進学しており(しかも医学部で)それだけで両親にとってはかなりポイントが高いのです。それを知ってか知らずか堂々とオネダリしてました。
我が娘ながら恥ずかしい限りですが、この母にしてこの娘ありと半ば感心しております。その調子で世の中をスイスイと渡り歩いてほしいと。
生家が跡形もなく消えて道路になる件について。
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私は牡羊座で今年は12年に一度の転生の年だと言われていますので、まさに象徴的な出来事だと歓迎しています。
寂しいけれども新たな人生の幕開けには、ふさわしいイベントに違いありません。
これから先、自分自身にどんな変化が現れるのか、こちらで報告していければ幸いです。
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