3. 東大生の学童期

東大生の学童期(2)~「保育園上がりの問題児」からの脱皮~

「保育園上がりの問題児」

とのレッテルを貼られ、先生や友達は自分をうとましく思い、誰もが自分との接触を避ける…

そんな周囲の雰囲気が、トムを退廃的な気持ちにさせました。些末な事でからかわれた事に腹を立て、トムが角材で叩いたお友達のお母様から、

「一体どういう躾をなさっているのかしら? 角材で人を殴るなんて。これだから保育園育ちは…」

と面と向かって嫌味を言われました。当然です。被害者も加害者も経験している親の私としては、その怒りは嫌ほど理解できました😰

しかしトムは誰にでも粗暴だった訳ではなく、気の合う友達(男子)が一人できた事は、大きな救いでした。近所に住むA君とそのママは、親子ともども私達と仲良くしてくれたのです。A君のママは、自分の所属するママ友コミュニティに私を誘ってもくれました。やがて互いの家を行き来するように。

いつもトムの素行の事で米つきバッタのようにあちこちに頭を下げていた私は、トムを信じる事ができなくなっていました。次に何をしでかすか分からず、トムの顔を見ればトゲトゲしい言葉ばかり投げかけていました。今思えば、追い打ちをかけるばかりのダメな母親でした。

息子の事を愚痴る私に、A君のママはある時言いました。

トム君は本当はいい子だよ。

こないだ学校から学童へ行くトム君を見かけたんだけど、足の悪い同級生の子のランドセルを、トム君が持ってあげてたよ。その子の歩調に合わせて、すごくゆっくりと、一緒に歩いていたよ。

トム君てすごく優しい子だよね。もっと信じてあげて。いい子なんだよ。

私はトム君が大好きだよ」

息子が小学校から下校する時間帯は、私は会社で仕事に追われていて、そんな息子の姿を目撃する機会は皆無です。息子は学校の近くの学童に通っていて、私が迎えに行く18時半までそこで過ごすのです。

ママ友から教えてもらわなければ、そんな息子の日常の様子を知る術もありませんでした。はっとして、思わず涙が出ました。😢

そして保育園時代のいじめっ子〇〇君の心情が、当事者の親になってようやく少し理解できました。家にも保育園にもどこにも居場所がなく、いつも孤独だった〇〇君。腫物に触るように、遠巻きにする大人や友達。

それでもたった一人、自分を理解してくれる誰かがいれば、状況は違ったかも知れない。〇〇君は小学校に上がって(住んでいる学区が異なるので別の小学校に入学)、一人でも友達ができただろうか。できていて欲しいと願いました。

トムは小学校の野球チームに所属していて、監督やその奥さん、ボランティアでコーチを務める高校生達から可愛がってもらいました。学童では上級生の友達も沢山できました。学校のクラスでは「問題児」でも、他にたくさん居場所がある事で、徐々に自分のアイデンティティを取り戻していったように思います。

夫のトラウマ: 担任との個人面談

一度だけ夫に、学期末の担任との個人面談に行ってくれるよう頼んだ事がありました。仕事がどうしても抜けられず、お願いしたのですが、その夜…

なんだあの担任!? トムについて悪い事しか言わないから、

”何か息子の良い面 はありませんか?”と聞いたら、

”ありません!”と即答しやがったぞ!

”一つも無いんですか?”って聞いたら”ないです!”だと。

ふつう親にそんな返答するか!? あれじゃトムが可哀そうだ!」

…凄い剣幕で報告してきました。

「私との面談でもいつもそうだよ。それだけトムが迷惑かけてるんでしょうよ」と私。

しかし夫は、担任によるトムの全否定がよほど悔しかったのでしょう。 以来、夫は子供達の「面談」と名の付くものに、一度たりとも参加した事はありません。

教師の力量

4年生で50代のベテラン女性教師が担任になると、トムの評価はがらりと変わりました。トム自身が変わった事もあるのかもしれませんが、独創性・集中力があり、算数好きの面白い子」と、トムを評価してくれました。算数がダントツにできる事で、クラスでも一目置かれるように。

また企業や官公庁が募集する夏休みのポスターや作文などで、優勝したり入選したりして、全校生徒の前で表彰されるようになりました。

こんなことを言うのは不遜であると重々承知の上ですが、

担任の力量や相性というものも、義務教育の導入部となる小学一年生においては、非常に重要だったのでは、と今改めて思ったのでした…

子供を信じてあげるのは、親にしかできません。世間様に頭は下げても、心のどこかでは、子供を信じて耐えるしかないのです。後悔しきりです。

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