ついにコロナウィルスの緊急事態宣言が全国で解除され、6月からやっと学校が再開されますね。
企業も完全在宅勤務から徐々に出勤を開始して、社会経済活動が再開しようとしています。
これまで政府や文科省は9月入学制度を「前広に」検討してきましたが、ここへきて根強い反対意見に合い、どうやら実施が怪しい雲行きになってきました(汗)
先日、某地方の県知事(70代?)が、9月入学制度について次のような反対コメントをしていました。「日本は桜舞う4月に入学、3月に卒業するのが独自の文化。桜の季節といえば出会いと別れのシーズンであり、日本人のDNAでもある。なんでもかんでも海外にならって9月にするのは、拙速であり耐えがたい。」と。
・・・こういう情緒的な発言を公然としている老害年寄りがいるから、日本の制度は何一つ変わっていかないのだと痛感しましたね。
失礼ながら余生限られたご老人が、なぜ日本の未来を担う子供達の学制を、そのきわめて個人的かつ情緒的な「感想」を発信することで、コントロールするのか意味がわかりません。確かに日本の社会制度は全て4月始まりの3月終わりで構築されているので、これを変更するのは相当な社会改革になるでしょう。だからこそコロナ禍の今しか、改革を断行するチャンスはないのです。その時にこのような寝ぼけた発言をしている年寄りを見ると、本当にイライラします。家の縁側で昔の良き思い出に浸りながら、桜の盆栽でもいじっておけと言いたいです。
そもそもこの休校期間で発生した、子供達の学力格差はどう穴埋めするつもりでしょうか。教育現場に丸投げですか?教師も生徒も夏休みを返上して授業を実施すれば、3か月間の休校期間など簡単に取り返しできるから、従来通り来年の1月から大学・高校・中学受験を実施しろというのでしょうか。それこそ無茶な話です。酷暑の7~8月に毎日、教師も生徒も登校して授業して、それで学力格差が埋まるというのでしょうか?埋めたことにするのですか?最後は教師や生徒という当事者たちにしわ寄せて終了ですか?・・・もう愕然とします。
更に大学入試については、共通テストの理科・社会をとりやめて、英・数・国だけで実施し、私立や国公立の二次試験の科目については各大学の判断にお任せ、などという案も出ていると聞きます。本末大転倒です。そうまでして来年1月に試験を実施し4月入学を固持することにどれほどの価値があるのでしょうか?無思考なまま、形式的な入試・入学を「実施すること」が最優先事項になっているのに気づかないのでしょうか。
一番大切なのは、当事者である子供達の健全な学力の回復と獲得ではないのですか?
日本は各界にはびこる老害重鎮のせいで、変化や変革が苦手な国民国家になっていると思います。皆と横並びで同じことを愚直に維持することには長けても、新たな挑戦とか変化、リスクを受けいれることに全く耐性がない。何かをやろうとするたびにこうした重鎮たちがわらわらと出てきて口を出し、阻止してしまう。
民泊も白タクも、既得権益を守ろうとする反対派により日本では普及していません。世界では当たり前に活用しているサービスなのに。それで世界の中でもどんどんとテクノロジーの進化に伴う変化の波に取り残されて、いずれ衰退国家になっていくのは時間の問題です。
その原因は、日本が世界一の超高齢化社会であり、自分達の古い価値観をベースに政治や社会に影響力を与える年寄りが多すぎて、社会のあらゆる改革が進まないということです。日本は、年寄りがいつまでも覇権を握りすぎなのです。卑近な例では職場でもそうです。シニアになっても後進に覇権を譲らない・譲りたくないおじさん・おばさんが多すぎです。
・・・と、思わず熱くなりすぎて話が脱線してしまいました・・・
しかし、こと大学入試についてはまだまだ予断を許さぬ状況で、固唾を飲んで見守っている今日この頃です。皆さんはどのように受け止められていますか?